2017/05/12

◆bos et asinus 牛とロバ (1)

わたしたちの研究会のウェブ・アドレスに入っている「bos et asinus」は、ラテン語で「牛とロバ」という意味です。降誕祭のグレゴリオ聖歌を中心に歌ってゆく研究会にいずれしたいね、と話し合っているうちに出された、わたしたちの研究会のいわば愛称です。

イエスがベツレヘムで生まれたとき、牛とロバが飼い葉桶に安らぐ幼な子を礼拝していた、といわれています。



「布にくるんで飼い葉桶に寝かせた」(2:7)とだけ記されているルカ福音書の描写から、人々はそこに居合わせた動物たちのことを想像したようです。やがて、イザヤ書とハバクク書の助けを借りて、その動物たちは「牛とロバ」だったと考えられるようになりました。イザヤ書1章3節に「 牛は飼い主を知り、ろばは主人の飼い葉桶を知っている」とあり、ハバクク書(ギリシア語訳)3章2節に「二匹の動物の間で、あなたは知られるようになる」と書かれていたからです。これらの聖書箇所がイエスの降誕を前もってあらわしていたと考えられたのです。このようにイザヤとハバククの言葉をイエスの降誕のシーンに結びつける最初の例は、3世紀頃の教父オリゲネスの著作に出てくるそうです(『ルカ福音書講話』13)。

その後、「飼い主に」つながれている牛を、律法に縛られたユダヤ人のしるし、荷を運ぶために重用されたロバを、異教の礼拝儀式という罪の重荷にあえぐ異邦人のしるしとみて、救い主イエスがこの両者を枷や重荷から解放なさる、という解釈が生まれました。たとえば4世紀の教父ニュッサのグレゴリオスは、「降誕祭の説教」第6章のなかで次のように言っています。
みことば(であるイエス)がお生まれになった飼い葉桶は、動物たちの住まいでもあった。それは、「牛は飼い主を知り、ろばは主人の飼い葉桶を知っている」(イザヤ書1章3節)がゆえであった。牛は律法につながれている者(すなわちユダヤ人)である。ロバは荷を運ぶ動物であり、異教の神々への礼拝という罪を負っている(異邦人である)。動物にふさわしい食物は草である。預言者(ダビデ)も「(主は)家畜のために草を茂らせる」と言っている(詩編104編14節)。他方、理性ある被造物はパンを食べて生きる。だから、理性のない動物たちが理性的な食べ物に与ることにより理性的に生きることができるようにと、動物たちが群れる飼い葉桶に、「天から降ってきた生けるパン」(ヨハネ6章51節,イエスのこと)が提供されたのだ。(みことばであるイエスは、牛とロバとの)間の壁を取り壊し(エフェソ書2章14節)、片方(の牛、すなわちユダヤ人)からは律法の重い軛を取り除き、もう片方(のロバ、すなわち異邦人)を、異教の神々への礼拝という重荷から解放して、両者をひとりの新しい人とするために、牛とロバの間の飼い葉桶の中に、身を横たえられたのである。
普段は草を食べている理性なき動物たちが、理性的な食べ物(パンだそうです...)を、しかも、いさかいもせず一緒に仲良く食べて、理性的に生きるようになる...。牛もロバも一緒に、というところに、イエスの降誕がもたらした新しい救いの情景が描かれているような気がいたします。

サラダよりパンの方が理性的ってのもどうかとは思いますが...。笑

( bos et asinus (2) に続く)