それにしても、けなげなのは牛とロバです。というのも、『黄金伝説』によれば、牛はヨセフとマリアの人頭税と家族の旅費と生活費の支払いのために売られてしまいますし、ロバは身重のマリアさまをナザレからずっとお乗せしたうえ、さらにベツレヘムからエジプトへ、そしてエジプトから故郷ナザレへと、その長い行程を、むずがるイエスさまと我が子をあやすマリアさまを乗せて、柔和な足取りで黙々と進んでいったのですから。
そんな「牛とろば」のことを歌ったグレゴリオ聖歌があります。ビクトリアやローリゼンなどのモテットで有名な「O magnum mysterium おお 大いなる神秘よ」です。主の降誕(クリスマス)の祭日の朝のお祈りで歌われていました(朝課の第4朗読後の応唱)。
おお 大いなる神秘
賛嘆すべき秘跡よ主がお生まれになり飼い葉桶に安らいでおられるのを動物たちが見ていたとは!幸いなおとめふさわしくも その胎に主キリストをお宿しなった方アヴェ マリア 恵みあふれるお方
主はあなたとともにおられます
テキストをみれば明らかなように、「おお」と応唱が驚くその内容は、主がお生まれになって飼い葉桶に安らいでいらっしゃることではなく(これもまた神秘には違いありませんが)、むしろそうした救い主のご誕生のさまを「動物たちが見ていた」というところにあります。人間に劣る動物たちが、人間に先んじて救い主に見える(まみえる)恵みに与るとは!という驚きです。
さらに言えば、動物たちにしてみれば、先ほどのニュッサのグレゴリオスが言うように(bos et asinus 1 をご覧ください)、牛とロバが干し草が欲しくて飼い葉桶をのぞきこんだら、その干し草の上に、自分たちをさまざまな束縛から救ってくださるお方が「秘跡のパン」として安らいでおられた、という驚きでもありましょう。これこそ「大いなる神秘」「賛嘆すべき秘跡」と、聖歌は歌っているのです。
「おお 大いなる神秘よ」は、感謝をこめて、貧しく貶められた存在との連帯を極みまで生き抜いたイエスの生涯のはじめを歌っています。こうして味わってみると、なぜ聖歌が「動物たち animalia」という言葉に、応唱部分では唯一となる最高音を配し、慈しみをこめて念入りに歌っているのかも了解されてくるように思います。
(https://gregobase.selapa.net/chant.php?id=3163)
なお、この聖歌の中間部のVersus(唱句)は、簡便版聖歌集『Liber Usualis』では、天使ガブリエルのマリアへのお告げの言葉になっていますが(Ave, Maria, gratia plena... 上の楽譜をご参照してください)、中世の多くの写本では、伝統的なイザヤ書とハバクク書の引用句で構成されています。この聖歌で歌われる「動物たち」は、やはり「牛とロバ」なのです。
主よ あなたの知らせを耳にして畏れにとらえられましたあなたのみわざを目の当たりにし 驚きました
二頭の動物の間に(あなたのみわざを見て)
(ハバクク書3章2節,イザヤ書1章3節参照)
Domine, audivi auditum tuum,
et timui:
consideravi opera tua, et expavi.In medio duorum animalium.
アウグスチヌスは、ある年の降誕祭の説教で、イザヤ書1章3節に登場する「ロバ」に次のように語りかけました。
「さあ飼い葉桶をごらんなさい。(そこで安らいでおられる)主に乗っていただくことを恥ずかしがってはいけません。あなたはキリストをお運びするのです。あなたはもう道を誤ることはありません。なぜならあなたは「道であるお方」(ヨハネ福音書14章6節参照)をお乗せするのだから。」(「説教」189, 4)わたしたちも、イエス降誕の物語を歌うときには、このロバのように、謙虚に、でも恥ずかしがらず、誇りと喜びと感謝をもって、テキスト(みことば)を運びたい。「牛とロバ」にはそんな意味が込められています。
(終わり)
by jun nishiwaki
